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御本尊様に関して、こんな質問をいただきました。

前の記事で「御本尊様に開眼は必要なのか?」と書きました。
それで日蓮正宗信者であるひごちゃんさんとやり取りさせてもらいましたが、結局は、御書には明確に「御本尊様に開眼せよ」とは書かれてないので、あとは解釈の問題になります。

日蓮正宗では「法主の開眼が必要」という立場であり、創価学会は「その必要はない」という立場。

ですが、彼(と裏で指南したダメ出しさん)が引用した観心本尊抄にある「此の仏像」という語句を持って「だから開眼が必要」との三段論法は、いかにも日蓮宗と一緒で、それはマズイでしょう。

この部分の反論は聞いてませんが、おそらく反論は無理でしょう。
だって多くの日蓮正宗信者はそういう読み方をしてませんからね(笑)

さて、一旦開眼の件は置きまして、当ブログの常連さん?であるお二方からこんなコメントをもらいました。

・素朴に質問があります。

いや〜新年早々読み応えあり。
一歩も引かない凄い対論でしたね。

僕はせっかく人間に生まれてきたので、
この一生を無駄にしたくないんですよね。
なので、正しい道に入ることが一番の望みです。それが創価学会だったらよかったんだけど、創価学会は正しくないと結論づけました。なので少し質問させて下さいな。

今回の対論は開眼についてでしたが、ハッキリ言って僕のような愚鈍のものには深く分かりません。

鯛焼きさんは、理論的には御本尊の相藐が正しければ、本門の本尊になりうると言ってましたけど、昔は僕もそんなふうに思ってだけど何かおかしいなと思ったんだよね

それは、日顕上人書写の本尊から創価の本尊に取り替えたときに思ったんです。

な〜んか違うな〜と思ってよく見たら、創価の本尊には十界の衆生が少なかったんですね。でも偉大な日寛上人書写の御本尊ですよね。

なので質問その一。
正しい相藐ってどういうことですか?

宮沢賢治さんは、雨にも負けずの手帳の最後に、中央首題と四天王を自分で書いてましたけど、本門の本尊ですか?

スイマセン阿呆な質問で、けど知りたい。

2019/01/26(20:06)  梵我一如

・バロムわん同志に続いて。

仏像とご本尊様を同格に扱うとは!
如何な事か!

支部長のお怒りに
一定の理解は出来ますが、、

相貌が正しいければ、
日蓮大聖人様の真筆の曼荼羅であれば、
それで良いの?って、思いました。

駄文コメントまい度、失礼しました。

2019/01/26(23:31)  天パ。

お二人の言いたいことは、創価学会授与の日寛上人書写の御本尊様がいわゆる八界しかないが、それってどうなの?という疑義になります。その件で下記コメントで対話を展開していきたく思います。

なお、コメントをこちらに持ってきたのは「開眼」とはまた別の内容ですので、こちらに転載させてもらいました。お二方、どうぞご承知おきください。
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コメント

日寛上人書写の御本尊様

まず天パさんへ

>なんなら、
>駄目出しブログに
>乗り込んで頂きたく、、、。

>血気盛んなバリ活動家が
>ボロカスに殺されましたが、、、。

>重ねて駄文コメント失礼。

御進言ありがとうございます。
でも、まさに「駄文」ですね(笑)

私は、修羅界の方とはネット上ではやりません。対話にならず不毛な結果に終わるのが目に見えてますので。もちろん現場では別ですがね。


さて、梵さんの疑義からいきましょう。

>鯛焼きさんは、理論的には御本尊の相藐が正しければ、本門の本尊になりうると言ってましたけど、

まず「理論」的であることと、それを「実践」できるかどうか?についてはまったくの別問題です。

>それは、日顕上人書写の本尊から創価の本尊に取り替えたときに思ったんです。
>な〜んか違うな〜と思ってよく見たら、創価の本尊には十界の衆生が少なかったんですね。でも偉大な日寛上人書写の御本尊ですよね。

そうなんですよね。確かに少ないです。
でもですね、いわゆる学会の草創期にさかんに授与された御本尊も日寛上人の御本尊様で、現在の創価学会のものと同じ相藐なのはご存知だと思います。

※学会草創期に流布した享保三年の日寛上人の御形木御本尊は、相貌も、授与書きがない点も、法主による開眼などがなかった点でも、現在の学会授与の享保五年の日寛上人書写の御形木御本尊と全く同じだったのである。(フェイク1601号より)

また大聖人御入滅ののちに日興上人、日目上人が書写した御本尊の中にも十界すべて書かれていない御本尊があることもご存知でしょう。

※宮田教授の論文より
菅原関道の「日興上人本尊の拝考と『日興上人御本尊集』補足」(『興風』第 11 号)によれば、日興書写曼荼羅は、その大きさにより、小さい曼荼羅は十界の列衆が省略された略式本尊であるが、大きい曼荼羅は十界の列衆がほぼ完備している円具本尊であると分類されている。


以上のことから、もし「十界すべてがない」と言うのでしたら、なぜ享保三年の日寛上人の御本尊を「法主経由(開眼して??)」でさかんに授与してきたのでしょうか?

つまり、十界すべてが書かれてなくても、宗門は問題はないという立場だったと思わざるを得ませんがいかがでしょうか?


「正しい相藐」についてはまた後日書きますが、

>宮沢賢治さんは、雨にも負けずの手帳の最後に、中央首題と四天王を自分で書いてましたけど、本門の本尊ですか?

ネットで私も確認しましたが、「南無妙法蓮華経」のみで「南無妙法蓮華経 日蓮」とは書かれてません。よって御本尊にはなりません。

取り急ぎ以上です。乱文ですみません。

No title

◆【御本尊の種類について】
①「略」式の御本尊
「南無妙法蓮華経」と四菩薩(上行・浄行・無辺行・安立行)・二仏(釈迦・多宝)の他、主な法華経登場人物が書きあらわされている。現在の創価学会授与御本尊(日寛書写)はこれにあたります。

②「要」式の御本尊
「南無妙法蓮華経」のみであったり、南無妙法蓮華経と四天王のみであるような御本尊。

③「広」式の御本尊
略式御本尊よりも多くの法華経登場人物が書きあらわされている。
創価学会大誓堂安置の御本尊(大法弘通慈折広宣流布大願成就)や大御本尊などがこれにあたる。「具足本尊」などの別名で呼ばれることもあります。

※【大御本尊には書かれているのに、学会授与本尊には書かれていないもの】
南無舎利弗尊者、南無薬王菩薩、南無文殊師利菩薩、南無普賢菩薩、南無弥勒菩薩、南無迦葉尊者、阿修羅王、転輪聖王、提婆達多、阿闍世大王、南無龍樹菩薩、南無妙楽大師。

現実に、創価学会員の方たちが喜々として語る功徳の体験談を見ると、御形木御本尊でも十分に功徳があるように見えますし、逆に、最高グレードに君臨しているはずの大御本尊は、700年間忘れ去られたように秘蔵され「大御本尊の驚異的な力」による功徳の体験談を聞くことも、ほとんどありませんでした。
結局、以前から検証しているように「法華経の会座と宝塔を書きあらわした」「生命の法則を表現している」という意味では、大御本尊も御形木御本尊(=法主が書写した御本尊を、印刷複写のうえ授与した御本尊)も内容的に変わりはなく、「御本尊に上下の関係がないように、御本尊の種類の差による功徳の差もないのだ」と結論づけることができそうです。
https://plaza.rakuten.co.jp/sokakyougaku/diary/201602060000/

※【日蓮聖人大漫荼羅一覧】
http://juhoukai.la.coocan.jp/mandara/mandaraitiran.html

◆【御本尊の功徳とは何か?】
https://plaza.rakuten.co.jp/sokakyougaku/diary/201602090000/


★【本門戒壇の大御本尊は滅後の模刻である証拠の数々】
https://open.mixi.jp/user/54955889/diary/1968478805

日蓮正宗では、「戒壇の大御本尊の御内証を書写した」と言っているが、同じ法主であるのに書写するたびに〝御内証〟が変わっている。

【67世・日顕が書写した御本尊の場合】※『石山本尊の研究』(京都要法寺僧侶 柳澤宏道編著)より。
・第35番座配図(昭和54年10月13日書写)→(釈提桓因大王ではなく)帝釈天王、南無龍樹菩薩なし、南無妙楽大師なし。
・第36番座配図(昭和55年6月21日書写)→(帝釈天王ではなく)釈提桓因大王、南無龍樹菩薩なし、南無妙楽大師なし。
・第38番座配図(昭和60年3月吉日書写)→(釈提桓因大王ではなく)帝釈天王、南無龍樹菩薩あり、南無妙楽大師あり。

※「釈提桓因」…帝釈天のこと。



>本尊とは教団の根本教義ではないか。その教義が対外関係の変化によってコロコロと変わっていいのだろうか。(「創価学会と日蓮仏法と活動」より)

広布の伸展の段階によって、現実的な課題として現れてくる事態や、将来起こりうる課題に責任を持って対応していくのは当然の事である。日蓮正宗のように古色蒼然たる教義解釈を墨守して事足れりとし、現実の広宣流布の伸展には責任も関心もないという立場とは全く違うのだ。
教義条項の改正は、「魂の独立」から23年、世界広布の伸展の時代的要請に応えるため、日蓮大聖人の仏法の本義に立ち返って、従来の教義解釈を整理し直したものである。したがって、教義の変更ではなく、教義の解釈の変更と位置づけられるものである。

※【日寛の登場】
https://plaza.rakuten.co.jp/sokakyougaku/diary/201602230000/

信仰の根幹に関わる教義とその解釈の変更は、本来なら100年単位の時間をかけてゆっくり行うべきものだ。古い体系を信じていた人たちが変更に対し強い抵抗感を抱くからである。

【作家 佐藤優氏】
「破門直後に今回の改正を行わず、時が満ちるのを待って行ったことに、学会の誠実性がある」
「『時代とともに生成され、変化していくこと』こそ、学会が『生きた宗教』である証(あか)し」
「『過去の発言と矛盾しているじゃないか』と批判する固定した見方は、『死んだ宗教』『化石の宗教』の論理」

【ハーバード大学名誉教授 ヌール・ヤーマン博士】
「宗教において教義が重要であることは、論を待ちません。しかし、私たちは、教義の奥に、さらには教義を超えて存在する人類の普遍の知恵を探ってゆかねばならないのです」

【上智大学名誉教授 安斎伸氏】
「平和・文化・教育の価値も理解できず、伝統に固執し、権威と力で信徒を押さえ付け、時代錯誤に陥った宗門。そこから独立しなければ、創価学会もやがては独善的、閉鎖的な教団として終わってしまい、未来性も世界性も絶たれていたことでしょう」

【東北大学大学院教授 佐藤弘夫氏】
「創価学会が日蓮正宗を庇護する在家団体の立場であり続ければ、現在のような192ヵ国・地域に及ぶ世界的な広がりはなかったと思う。創価学会は、日蓮正宗と袂を分かつことで今日の発展があったといえる。宗門から創価学会を破門したという形だが、宗門と離れる意義は大きく、結果として良かったのではないか。
教団というものを考えるとき、懸念しなければならないのは、保守化していくということ。それが権威主義につながる。既成教団のように人を束縛させる方向でなく、心が輝く人を陸続と輩出し、それを支える組織でなくてはならない。
私は形式的な血脈論はあり得ないと思う。血脈相承が外在化し、権威化して、ひとり歩きを始めるような状況は宗教としての自滅行為だと考えます。信仰があるところに血脈は流れ通うと考えるのが日蓮の思想でしょう。
大事なことは、『今、日蓮が生きていたらどう考え、行動するか』――それを常に問いかけ、現代的な課題に真剣に応えていく努力でしょう」


本書(※『御書の世界』第3巻)では、「三大秘法」についても紹介されています。従来から言われているのと同じく「本門の本尊」「本門の戒壇」「本門の題目」ですが、その根底に「広宣流布の誓願」があってこその三大秘法であることが強調されています。創価学会の主張は、自分の中に「誓願」がなければ、形式だけでは三大秘法の南無妙法蓮華経を受持したことにならない、というものです。
翻って、日蓮正宗では、三大秘法はあくまでも形式からはいっていきます。弘安2年の板御本尊が本尊で、それを安置するところが戒壇で、と、物体や場所が第一義になっていることに気がつきます。日蓮正宗の「形式至上主義」は、小説・人間革命のレビューでも指摘しましたが、相当昔から続くイデオロギーのようです。
このような、日蓮正宗に破門され、日蓮正宗の形式至上主義の呪縛から解き放たれた後に書かれた本シリーズ全3巻は、創価学会の新しい教学の流れを確立した、新時代の重要な教義書であるように思います。
https://www.amazon.co.jp/review/RTFB02N4QS90D/ref=cm_cr_rdp_perm

「『広宣流布の大願』と『仏界の生命』とは一体です。だからこそ――この誓いに生き抜く時、人は最も尊く、最も強く、最も大きくなれる。この誓いを貫く時、仏の勇気、仏の智慧、仏の慈悲が限りなく湧き出(い)でてくる。この誓いに徹し切る時、どんな悩みも変毒為薬し、宿命をも使命へと転じていける」(池田先生)


★【御本尊は己心の仏界を映す鏡】
御文(阿仏房御書)では続いて、「妙法蓮華経より外に宝塔なきなり、法華経の題目・宝塔なり宝塔又南無妙法蓮華経なり」と、法華経で説かれる宝塔は、南無妙法蓮華経以外の何ものでもないことを述べられていく。
宝塔とは、私たち一人一人であり、その宝塔とは、あらゆる仏を成仏させた根源の法である南無妙法蓮華経である――。
しかし、宝塔が自分自身であると言われても、それを信じることは難しい。だからこそ大聖人は、一人一人の「己心の宝塔」を映す明鏡として、御本仏としての御自身の生命を御本尊に顕された。
「御義口伝」に「南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、明鏡にあらゆる者の像を浮かべるように、一切の事象を明らかに知見していくのである。この明鏡とは法華経であり、別しては宝塔品すなわち御本尊である。または御本尊を信ずる者の一心の明鏡である」(御書P.763、通解)と示されている。
鏡があれば、自身の容姿を見ることができる。同じように、御本尊を明鏡として題目を唱える時、一人一人の「己心の宝塔」を覚知し、仏界の生命を現すことができるのである。
http://www.sokayouth.jp/study/goshokatsu/2012/04.html

「自分自身が妙法の当体である。ゆえに、何も恐れるものはない。幸福にならないわけがない。そう決めて題目を唱えゆく時、わが生命に『歓喜の中の大歓喜』(御書P.788)が湧き起こってくる」(池田先生)

本抄(日女御前御返事)は、御本尊の真実義を明かされた重要御書である。ゆえに宗門は、信者がこの御書を拝し「胸中の肉団」(=自身の生命)に内在する御本尊を覚知することを恐れるのである。
大聖人が御本尊を図顕されたのは、法華経において一切衆生に〝仏智見〟を開かしめん、と説かれた仏意の本体を明かされたことであり、その真意を信者に知らしめることであった。
宗門が危惧するのは、「拝むべき正境の本尊」が建立された意義は、「胸中の肉団に(御本尊が)おはします」ことを自覚せしめるためであったと、信徒が知るに至ることである。
そうなれば、僧侶が一方的に御本尊を独占し、僧俗差別が当然であるとしてきた根拠が打ち消され、さらには大聖人、日興上人への違背であることも明らかとなり、宗門僧侶の存在意義すら消え果てる――。

※「仏智見」…仏の智慧に基づく正しい認識。
http://aoshiro634.blog.fc2.com/blog-entry-314.html

ありがとうございます。

今晩は。
お返事ありがとうございます!

少し誤解があるようなので、説明します。
僕は日寛上人書写の御本尊様に疑義がある訳では全くありません。(恐れ多い)
勿論正しい御本尊様に決まってますぅ。

ただ、何ていうか、何故一律じゃないのかなぁ?と思いまして。

八界でも十界でも正しい相藐で、けど、宮沢賢治さんのは日蓮大聖人様の日蓮が無いから正しい相藐で無い?

なんというか、線引きは何処?っていうか
何処から何処までなら正しい相藐なのか?

ナゼ日寛上人は八界にしたんですか?
日興上人や日目上人はその時の気分で、かき分けたのかな?

凄い不思議です。なんかあるのかな?

有難う御座いました♪

Re: ありがとうございます。

無名さん、毎度鋭い御指摘や資料を提供いただきありがとうございます!

梵さんもぜひご一読願いたいです。

一点だけ言わせてもらえれば「本尊とすべきは妙法蓮華経の五字」と「日蓮がたましい」等の御文から「南無妙法蓮華経 日蓮」とすべきは明白でしょう。

ですので日蓮宗でよくある「南無妙法蓮華経 ●●(その時の住職名等)」ではダメです。また宮沢賢治さんの書いたものも無名さんの資料でいけば②「要」式の御本尊、になるのでしょうが「全世界に流布すべき御本尊」になるかどうかと言えば否でしょう。

相藐については、観心本尊抄「其の本尊の為体、本師の娑婆の上に宝塔空に居し、塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏、釈尊の脇士上行等の四菩薩、文殊弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し、迹化他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月卿を見るが如く、十方の諸仏は大地の上に処し給う。迹仏迹土を表する故なり」と仰せです。

また「日女御前御返事」にも「されば首題の五字は中央にかかり・四大天王は宝塔の四方に坐し・釈迦・多宝・本化の四菩薩肩を並べ普賢・文殊等・舎利弗・目連等坐を屈し・日天・月天・第六天の魔王・竜王・阿修羅・其の外不動・愛染は南北の二方に陣を取り・悪逆の達多・愚癡の竜女一座をはり・三千世界の人の寿命を奪ふ悪鬼たる鬼子母神・十羅刹女等・加之日本国の守護神たる天照太神・八幡大菩薩・天神七代・地神五代の神神・総じて大小の神祇等・体の神つらなる・其の余の用の神豈もるべきや、宝塔品に云く「諸の大衆を接して皆虚空に在り」云云、此等の仏菩薩・大聖等・総じて序品列坐の二界八番の雑衆等一人ももれず、此の御本尊の中に住し給い妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる是を本尊とは申すなり。」とある通りです。

そのうえで、時の法主がアレンジされたのではないでしょうか?

なぜ、日寛上人が八界で書かれたのかについてまではさすがに分かりません。
これは日蓮正宗の方でも分からないと思いますが。

Re: 有難う御座いました♪

いま見ました。誤解と言うかかなりの偏見がありますので(笑)なんですが、反駁しましょう。

>彼の主張によれば、御本尊の相貌があれば全てが『本門の本尊』として認定できるらしい。

らしい、って勝手に決めつけるな(笑)
あくまでも「理論的にはなるかも知れない」という話で、それを「信」じて実践できるかどうかは別問題だって何度も言ってます。このへんのロジックがまるで理解できない方なんでしょう。

>創価オリジナルでも、手書きでもOKとの事。あまつさえ排泄物にさえ文字を印字すれば、それも(理論的には)本門の本尊になるという。そして、それを祈る人間の気持ち次第で『(鯛焼き流)三大秘法』が成立するかどうかで、正しいかどうか決めるという。(逆にいえば、排泄物に印字された本尊でも疑う事無く厚く信仰する人がいれば成立する、という珍説である)

私の言葉足らずかも知れませんが、あくまでも広宣流布のための「信」です。個人の幸せや全民衆を幸せにするために、その排泄物を「本門の本尊」として信じられますかね、普通?

何でもかんでも信じれば、それは本門の本尊、なんて沈説は言ってませんのであしからず。

つまり排泄物では三大秘法が成り立たないのですよ。
ちなみにダメ出しさんが排泄物の譬えを出してきたので乗っかったまで。よく読んで欲しいですね。

あとは、もういいです。この記事の論点から外れますので。

本当にありがとうございます。

鯛焼きさん。
僕の面倒臭い質問に真摯に答えてくれて
ありがとうございます。
もう少し聞かせて下さい。

そうすると、宮沢賢治が大聖人様の名前を書いていたら本門の本尊になると言うことですか?

鯛焼きさんは日蓮が魂だから首題のあとに大聖人様の名前が必要だと仰いましたが、
宮沢賢治さんが書いても、大聖人様の魂が籠もるのでしょうか?

本尊抄や日女御前の文も拝したことがあります。僕も昔は鯛焼きさんと同じで、此の文を読んで、御本尊の相藐だと思ってましたが、そうすると、首題の下に大聖人様の名前は身延派のように必ずしも必要とは言えなくなるのでは?

本当に仏様の悟りである大曼荼羅の相藐が僕らのような凡夫に解るのでしょうか?

面倒臭くてスイマセン。

Re: 本当にありがとうございます。

梵さん、ありがとうございます。

まず再度整理いたします。
「本門の本尊」ですが、2014会則改正の際に創価学会は次のように定めました。

・末法の衆生のために日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、それを書写した本尊は、全て根本の法である南無妙法蓮華経を具現したものであり、等しく「本門の本尊」であります。

つまり、大聖人の御真筆と、その真筆を書写したものが本門の本尊になりえる、ということです。

その意味で、例の宮沢賢治が書いたものが「本門の本尊」に当たるか否か?ですが、中央部に南無妙法蓮華経としか書かれてない、ということは間違いなく上記(御真筆もしくはそれを書写した御本尊)には当たりません。ゆえに「本門の本尊」にはなりません。

>そうすると、宮沢賢治が大聖人様の名前を書いていたら本門の本尊になると言うことですか?

仮に、宮沢賢治が何等かの方法で、御真筆御本尊を書写したとした場合、それは「本門の本尊」になる可能性はあるでしょう。

ただし!
何度も書いてますが、大聖人仏法においては「本門の本尊」だけ存在しても意味がなく「本門の題目」「本門の戒壇」が同時に成り立たねばなりません。つまり「三大秘法」が成り立つか否かです。

その観点で言えば、この場合に「本門の本尊」「本門の題目」が本当に成り立つのか?

御書に「末法に入りて今日蓮が唱うる所の題目は、前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」ですから、当然自分で信仰するだけでなく、他者を折伏し御本尊を持たせねばなりません。

その時に、その宮沢賢治の書いたものが流布すべき御本尊と言えるのかどうか? つまり万人にとって「この宮沢さんが書いた御本尊こそ、広布にふさわしい御本尊だ!心から信じられる!」と思えるかどうか?

思うに絶対に「否」でしょう。

たとえ宮沢賢治はそれを信じて祈ったとしても、それでは自行のみ。よって「自行化他に亘りて」ではないので、三大秘法は成り立ちません。

つまり「本門の本尊」になる可能性はあっても、それでは意味がないのです。
また他者への授与が叶わない、つまり祈りが叶わないことにもつながりますので、それでは「本門の本尊」と言えるのかどうか、という点も考えることが必要でしょうね。


>鯛焼きさんは日蓮が魂だから首題のあとに大聖人様の名前が必要だと仰いましたが、
>宮沢賢治さんが書いても、大聖人様の魂が籠もるのでしょうか?

これは「開眼」のことを言ってるのですか? 意味が分かりません。

逆質問ですみませんが、宮沢賢治ではなく、法主がご本尊を書写される際に、どの段階で、どういう仕組みで「大聖人様の魂が籠もる」のか、ご教示いただきたく!


>本尊抄や日女御前の文も拝したことがあります。僕も昔は鯛焼きさんと同じで、此の文を読んで、御本尊の相藐だと思ってましたが、そうすると、首題の下に大聖人様の名前は身延派のように必ずしも必要とは言えなくなるのでは?

確かに「本尊抄」だけ読めば、また「日女御前」だけを単独で読めば、そう解釈することもできるでしょう。ですが御書全編また全体感で理解すれば、そのような疑問は消えると思います。

御書の一部しか読まないから身延派のような解釈になってしまうのかと。


>本当に仏様の悟りである大曼荼羅の相藐が僕らのような凡夫に解るのでしょうか?

これは法主=仏様、というのが前提ですか?
なぜ、そのように言えるのでしょうかね?

私は疑問ですが、それはさておき「御本尊は法主のみ書きなさい」と御書にない以上は、誰でも「御真筆を書写」しても「理屈としては」構わないと思います。

ですが!!
何度も書きますが、それで「三大秘法が成り立つかどうかは別問題」です。

また興味本意で、とか自分勝手な考えで書写したとしても、その意は業に加わります。(良くも悪くも)

ですので、書写することで逆に和合僧を乱すなど広布の妨げとなってしまえば、どうなるのか? をよく考えるべきでしょうね。

No title

※体長1.3mの巨大猫さんのコメントより。

現在創価学会が会員に下付している御本尊は、日寛上人が享保五年六月十三日に書写され、栃木県浄圓寺に御安置された御本尊を御形木御本尊としております。
この御本尊は、中央の題目の両側に下記の諸尊が認(したた)められています。

・【仏界】…釈迦牟尼仏、多宝如来。
・【菩薩界】…上行菩薩、浄行菩薩、無辺行菩薩、安立行菩薩。
・【縁覚界】…なし(※迦葉尊者がない)。
・【声聞界】…なし(※舎利弗尊者がない)。
・【天界】…帝釈天王、大梵天王、第六天魔王、大日天王、大月天王、大明星天王、大持国天王、大毘沙門天王、大廣目天王、大増長天王。
・【人界】…なし(※阿闍世大王、転輪聖王がない)。
・【修羅界】…なし(※阿修羅王がない)。
・【畜生界】…八大龍王。
・【餓鬼界】…鬼子母神、十羅刹女。
・【地獄界】…なし(※提婆達多がない)。
・「伝灯の先師」…天台大師、伝教大師。

つまり、仏界、菩薩界、天界、畜生界、餓鬼界の五界しかありません。
日蓮大聖人が竜の口の法難後、佐渡に護送される前日の文永八年十月九日に初めて図顕された御本尊(楊枝本尊と呼ばれており、京都・立本寺に所蔵)は、中央に「南無妙法蓮華経」の首題が大書され、その左下に「日蓮(花押)」の名が示され、左右の肩に梵字で不動明王と愛染明王が記されているのみで、釈迦牟尼仏・多宝如来及び十界の諸尊も四大天王も一切書かれておらず、大聖人が認められた御本尊の中でもっとも簡略な形の曼荼羅となっています。
また首題の右側中央から下にかけて「文永八年太歳辛未十月九日」「相州本間依智郷書之」と、日付および図顕の地が明記されています。
楊枝本尊はもっとも簡略な形の御本尊であるため、その相貌には日蓮大聖人御図顕の御本尊の本質が表れており、文字曼荼羅の本質的要素が南無妙法蓮華経と日蓮花押にあり、釈迦・多宝の二仏は略されてもよい派生的なものであると考えられています。
http://juhoukai.la.coocan.jp/mandara/001.html

釈迦・多宝の二仏を略した御本尊は現存する日蓮大聖人真筆の曼荼羅でも五幅を数え、その中には弘安年間に図顕されたものもあります。日興上人の書写本尊にも二仏を略したものが存在します。
『当体義抄』の冒頭に「問う妙法蓮華経とは其の体何物ぞや、答う十界の依正即ち妙法蓮華経の当体なり」と、
また、『諸法実相抄』の冒頭に「問うて云く法華経の第一方便品に云く『諸法実相乃至本末究竟等』云云、此の経文の意如何、答えて云く下地獄より上仏界までの十界の依正の当体・悉く一法ものこさず妙法蓮華経のすがたなりと云ふ経文なり」と仰せのように、十界三千の依正、すなわち森羅万象がことごとく、妙法蓮華経の当体であることが明かされています。
つまり、首題の五文字「妙法蓮華経」に十界の依正の一切が含まれているので、左右の諸尊が一部省略されても問題ないのではないでしょうか。
前述のように、宗祖日蓮大聖人が御図顕され、御開山日興上人が書写された御本尊の中にも十界の諸尊が省略されているものが現存します。
したがって日寛上人が書写された御本尊に十界の諸尊が全てそろっていないとしても、何ら気に病むことはないと思います。

※「依正」…因果の法により、過去の行為の報いを受ける主体(正報)と、主体を支える環境世界(依報)のこと。

あまりシックリこないなぁ。

本当に面倒臭くてスイマセン。
なのでまず鯛焼きさんの質問に答えます。

〉逆質問ですみませんが、宮沢賢治ではなく、法主がご本尊を書写される際に、どの段階で、どういう仕組みで「大聖人様の魂が籠もる」のか、ご教示いただきたく!〈


イヤぁ〜(笑)これを僕が知っていたら、
唯受一人血脈相承にならないでしょ?
言い方悪いけど、鯛焼きさんは、大聖人様が日興上人に付属した内容知ってますか?
知らないでしょ。日興上人しか知らないことがあるから別付属というのでは?
本尊書写に関する事はそうゆう範疇の事柄ではないでしょうか?なので、タダの末端信徒のアッシに分かる筈もありませんよ。
分からないことが正しい証拠です。

あと、大聖人様の御真筆の御本尊様を書写すれば本門の本尊になりうる可能性があるとのことですが、恐れ多い事ですが、大聖人様の御本尊様にも楊枝本尊等のように、
中央首題と四天王や愛染、不動くらいしか書かれておられない御本尊様や日蓮のお名前が横っちょの方に書いてある御本尊様等がしたためられていますが、どれを書写しても本門の本尊になる可能性があるのですか?

そうすると益々正しい相藐の基準が分かりません。何処から何処までなのか?

また宮沢賢治で申し訳ありませんが、あの人死ぬ間際にも法華経流布を使命にしていたようです。因みに身延派や法華宗も基本一閻浮醍広宣流布を大願にしているので、
それぞれの宗派の管長が書写している本尊は、三大秘法になるんですか?

謎は深まるばかりです。

追伸。

スイマセン追記ですが、鯛焼きさんの、


〉確かに「本尊抄」だけ読めば、また「日女御前」だけを単独で読めば、そう解釈することもできるでしょう。ですが御書全編また全体感で理解すれば、そのような疑問は消えると思います。

御書の一部しか読まないから身延派のような解釈になってしまうのかと。〈


勿論三大秘法は大聖人様所持の法なので、
大聖人様の名号だと思います。

デスが、鯛焼きさんのよく言う御書に直接書いてあるのか?と言う事です。
御書に直接中央首題の後に大聖人様の名号を書け!と書いてある御書はありますか?

Re: あまりシックリこないなぁ。

梵さん、こんばんは!

>本尊書写に関する事はそうゆう範疇の事柄ではないでしょうか?なので、タダの末端信徒のアッシに分かる筈もありませんよ。
>分からないことが正しい証拠です。

いや、そういうことを聞いてるのではありません。

>宮沢賢治さんが書いても、大聖人様の魂が籠もるのでしょうか?

と梵さんが書いたので、私は、この「大聖人様の魂が籠もる」とは一体どのような意味なのか? を聞きたかったのです。

どのようなことを意味するのか、もう少し具体的に書いてください。


>あと、大聖人様の御真筆の御本尊様を書写すれば本門の本尊になりうる可能性があるとのことですが(中略)どれを書写しても本門の本尊になる可能性があるのですか?

私も専門家ではありませんので明確には分かりかねますが、もし仮に時の政権等から大弾圧をくらって「楊枝本尊」しか残されない状況になったとしたら「楊枝本尊」を本尊にするしかないのでは?

だから「必ずこの御真筆御本尊でなければダメ」とは言えないです。ですが現状ではその可能性は皆無ですので、あとは和合僧団のトップが決めるべき問題かと思います。

>また宮沢賢治で申し訳ありませんが、あの人死ぬ間際にも法華経流布を使命にしていたようです。因みに身延派や法華宗も基本一閻浮醍広宣流布を大願にしているので、それぞれの宗派の管長が書写している本尊は、三大秘法になるんですか?


梵さんが、どうして「三大秘法」が成り立つと思うのか? その理由が分かりません。

宮沢賢治さんで言えば、彼の書いたものは、全世界に流布すべき御本尊とは言えなかったはずです。南無妙法蓮華経しか書かれてなかったからですね。「本門の本尊」ではありません。

身延派等も果たして「本門の題目」「本門の戒壇」なのかどうか?

稲荷等を祭って「本門の戒壇」と言えますか?
大聖人を大菩薩等ととらえて唱える題目を「本門の題目」と言いますか?

法華宗(顕本法華宗のことですよね?)も釈尊を本仏としております。それでなぜ「三大秘法」が成り立つとお考えなのか? 


>デスが、鯛焼きさんのよく言う御書に直接書いてあるのか?と言う事です。
>御書に直接中央首題の後に大聖人様の名号を書け!と書いてある御書はありますか?

ありません。
でも人本尊と法本尊の件、そして何よりも大聖人ご自身が晩年の御本尊には「中央首題の後に大聖人様の名号を書いて」おられるのが何よりの証左です。

日興上人もその意を組んでおられました。
五老僧はその真意が分からなかったからこそ、今の身延池上中山等の流れになっているのでは?

三大秘法が整えば。

末法の衆生のために日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、それを書写した本尊は、全て根本の法である南無妙法蓮華経を具現したものであり、等しく「本門の本尊」であります。と、
学会の公式見解ですよね?

私は個人的に上記の見解に
違和感を感じました。

なので、
支部長にも御質問させて頂いた次第。

支部長は、
相貌うんぬんも然りだが、
「そこに信が有るのかが大事だ!」と、
言われた。

私も「信が有るのか」が大事だと
思います。同意です。

日蓮大聖人様は、
諸宗は本尊に迷うと言われた。
なので、
未来の私たちに
一閻浮提総与の大御本尊を顕され、
日興聖人に後を託した。

日蓮大聖人の大仏法の根本とは?
何でしょう?

宇宙のリズムとか、
妙法のリズムとか。
信心の血脈とか、、。
駄文コメントまいど失礼ブッコキました。


Re: 三大秘法が整えば。

天さん、いつもコメントありがとうございます!
ちょっと質問の意味が分かりにくいので再度ご説明いただけますか?

>未来の私たちに
>一閻浮提総与の大御本尊を顕され、
>日興聖人に後を託した。

と、断定されておられますが、その根拠は何ですか?

>日蓮大聖人の大仏法の根本とは?

ここは出世の本懐、との意味でしょうか?




出世の本懐。

池田先生の御指導から引用致しますね。

大聖人様の出世の御本懐は一閻浮提総与の大御本尊様、すなわち三大秘法の大御本尊様の御建立にあります(『会長講演集』第三巻)

日蓮大聖人が出世の本懐として建立された一閻浮提総与の大御本尊が三大秘法総在の御本尊であり、この御本尊に帰命すること、その信仰を全世界に広宣流布することが立正安国の実践となるのである(『立正安国論講義』)

三大秘法の成立。

今晩は鯛焼きさん。
鯛焼きさんも忙しいでしょうから、
時間のある時に返信していただければ幸いです。なんせアホな質問なので(笑)

これだけ質疑応答しているのに、まだ全くシックリきません。
僕なりに今までの鯛焼きさんの、三大秘法を要約すると。

一流の書道家が最高級の紙にどの曼荼羅でも良いので、中央首題と名号のある真筆の御本尊を見て書写すれば、まずは本門の本尊の可能性がでてくる。
そこに、信心のある凡夫がその本尊を信じて題目を唱え、流布の活動をすれば、本門の本尊になる。でも日蓮大聖人様を御本仏と思わない人では本門の本尊には成らないということですか?

しかし、無名さんもよく出す宮田教授さんなんかは、も〜う日蓮本仏は無理がある、
大菩薩でいいんじゃない?と思ってらっしゃるみたいだし、世界194カ国のsgiは日蓮本仏論を全面に出していないはずデス。
するとsgiの方々は三大秘法が成立しないのですか?

創価学会の信者の中でも三大秘法が成立する人としない人ができませんか?

また、三大秘法の成立を本尊流布を条件にされてますが、大聖人様や日興上人様は、
よほどの信者にしか流布されなかったのではないですか?多分僕が大聖人様の時代にいたら授与して貰えなかったかな(笑)

授与して貰えなかった人は三大秘法が成立しなかったのですか?不成仏?

Re: 出世の本懐。

返事が遅くなりました。
梵さん、今現在、創価学会は「大聖人の出世の本懐」をいわゆる大御本尊建立だけ、とはみなしておりません。

もしご質問の意図が「大聖人の出世の本懐」でしたら、教学部解説より引用しますが、

>「出世の本懐」の本義は、大聖人の御生涯において、末法万年の一切衆生の救済のために三大秘法を確立されたこと、それとともに、立宗以来27年目に、熱原の法難において、農民信徒たちが大難に負けない不惜身命の信仰を示したことによって証明された民衆仏法の確立である。大聖人が、「弘安2年の御本尊」を御図顕されたことも、この三大秘法の確立と民衆仏法の確立という意義の中に含まれるものと考える。
>末法万年にわたって全世界の人々を救うという大聖人の出世の本懐は、三大秘法の確立とともに、「日蓮と同意」「日蓮が如く」との精神で、それを担いゆく不惜の門下が誕生してこそ初めて成就する。そこに民衆仏法の真の実現がある。

になります。

Re: 三大秘法の成立。

>一流の書道家が最高級の紙にどの曼荼羅でも良いので、中央首題と名号のある真筆の御本尊を見て書写すれば、まずは本門の本尊の可能性がでてくる。

可能性としてはありますね。

>そこに、信心のある凡夫がその本尊を信じて題目を唱え、流布の活動をすれば、本門の本尊になる。
>でも日蓮大聖人様を御本仏と思わない人では本門の本尊には成らないということですか?

書き方がヘタクソですみません。「本門の本尊」については、会則改定の通りで、大聖人の御真筆および書写した御本尊になります。その他の条件はないでしょう。

そのうえで再度。

>そこに、信心のある凡夫がその本尊を信じて題目を唱え、流布の活動をすれば、本門の本尊になる。

本人の信仰と同時に、その方の属する「和合僧団の教義等」が関係しますので一概には言えませんが、この場合は「流布の活動」は「本門の題目」が成り立つことになると思います。ただし残された「本門の戒壇」については分かりません。

>でも日蓮大聖人様を御本仏と思わない人では本門の本尊には成らないということですか?

こちらは「本門の題目」が成り立たないですね。

日蓮正宗さんを例にしてすみませんが、仮に日蓮正宗の教義が正しいとした時に、大御本尊様に「不信の輩」が参拝した場合、三大秘法が成り立つのでしょうかね? それと一緒です。

>しかし、無名さんもよく出す宮田教授さんなんかは、も〜う日蓮本仏は無理がある、大菩薩でいいんじゃない?と思ってらっしゃるみたいだし、世界194カ国のsgiは日蓮本仏論を全面に出していないはずデス。
>するとsgiの方々は三大秘法が成立しないのですか?

ちょっと、ちょっと! 宮田教授の論がすべて正しいわけじゃないです(笑)

また、>世界194カ国のsgiは日蓮本仏論を全面に出していないはずデス。っていうのは何を根拠にしてますか?

私も全SGIについて存じてる訳じゃないですが、アメリカSGIは、

>日蓮は「種を植えて、育て、刈り取るという教義は、法華経のまさに中心、核心である。三世十方の諸仏は常に妙法蓮華経の五字によって表現される種を通じて常に成仏したのである。」と述べている。
>この点から見れば、日蓮は本因の教師として見られ、釈尊は本果の教師として見られる。
>これゆえに法華経において、釈尊は彼の永遠の仏性を、彼のもともとの菩薩の修行の結果を、示したのである。
>しかしながら、釈尊は彼が成仏した本因、特殊な修行の本性を示さなかった。
>それに対して、日蓮は、南無妙法蓮華経の教えと修行を示したのであり、それを日蓮は、すべての人々が成仏できる本因として特定したのである。
>このような見方により、日蓮が本仏とされる。

との和訳がありますよ?(宮田さんのHPより)
宮田さんの誤訳でない限り、しっかりと「日蓮が本仏とされる。」とあります。

そりゃ、日本と同じ感覚で全世界中で同じような表記になるはずありません。
言語や文化がそもそも違いますのでニュアンス等含めて日本と違って当然でしょう。

でも「釈迦が本仏で、日蓮は迹仏」とか「日蓮は大菩薩」などとの表記はまったくないと思いますよ?

ですのでsgiの方々でも真面目に信仰している方は三大秘法が成立します。


>創価学会の信者の中でも三大秘法が成立する人としない人ができませんか?

そこなんですよね!
私も初めて改正の記事を見てよく分からず、後日先輩に伺った時に「なるほど」と納得すると同時に「こりゃエライこっちゃ!」「ただ家に御本尊様を安置しているだけじゃダメなんだな」とあらためて思ったんです。三大秘法が成り立たないので。

シニフィエさんを例にしてすみませんが(笑)、彼なんかせっかく御本尊様がある家に生まれ途中まで信仰してたけれども、結局は退転。(彼が創価を辞めたのは、梵さんにとっては正解だろ、って思うでしょうがひとまず置きましょう)

つまり御本尊様が家にあるだけで、題目を唱えない、折伏もしない、仏壇を捨てる、などの行為が加わってしまえば、三大秘法が成立しない。これは当たり前じゃないですかね?


>また、三大秘法の成立を本尊流布を条件にされてますが、大聖人様や日興上人様は、よほどの信者にしか流布されなかったのではないですか?多分僕が大聖人様の時代にいたら授与して貰えなかったかな(笑)

>授与して貰えなかった人は三大秘法が成立しなかったのですか?不成仏?


「三大秘法の成立を本尊流布を条件」ということではなく、宮沢賢治の場合は、彼のオリジナル御本尊で本当に化他の実践ができるかどうか?にポイントを置いたものです。

もちろん折伏は難事中の難事ですので、そう簡単にできるものではありません。でもその精神がある限りは聞法下種でも問題なしと考えます。その前提として「正しい和合僧団」に属することが必須かと思います。


結局、私が三大秘法についてなんだかんだ書いてもおそらく納得できないでしょうから、まずは梵さんの考える三大秘法を説明して欲しいです。

あと、この質問のお答えも!

>宮沢賢治さんが書いても、大聖人様の魂が籠もるのでしょうか?

と梵さんが書いたので、私は、この「大聖人様の魂が籠もる」とは一体どのような意味なのか? を聞きたかったのです。

どのようなことを意味するのか、もう少し具体的に書いてください。

書写した方によって変わるもの?

 興味深く拝見させております。

 私は日顕書写の本尊お取替えのときに、一番最後まで抵抗しておりました。

 入信してから10年以上も苦楽を共にその御本尊様に祈ってたくさんの功徳の体験をいただきましたから愛着は強く、地区拠点なので地区の方々に疑問を抱く方がでると困ると言われ渋々お取替えした経緯があります。

 仮にお取替えしないで今に至っていたとしたら、三大秘法が成り立つか疑問になるのでしょうか?

 また支部拠点には日達書写の御本尊はお取替えの対象にはなっていないのでそのままですが、公式には学会が日達上人を非難はしておりませんが、山友に吹き込まれて先生をやめさせた当事者で、北条会長、日達上人が急逝されたことは、そのことにおける現証と教わったものです。

 また出世の本懐と言われた大御本尊の疑義が証明されるようなことが将来起きたときに、それを間違って宣揚した日寛書写の本尊の扱いはどうなるのか、、、?

 本門の本尊にはなっても、鯛焼きさんの解釈だと三大秘法が成り立つのかなとちょっと疑問に感じております、、、。

 線引きが何か情緒的だなあと思っています。

 むしろ鯛焼きさんの主張や無名さんの資料に沿えば、宗祖真筆の本尊が現実不可能なら、宗門の法主書写にこだわらず池田先生書写の御本尊を会員に御下付するのが一番スッキリするように思うのですが、、、?

 

難しい質問に返信感謝!

僕の理解力が無いのか、鯛焼きさんの三大秘法が分かりにくいのか分かりませんが、
返信頂いて感謝です。
なんとな〜く分かりかけて来ました多分。

とりあえず、質問に答えます。まず、魂が籠もる云々ですが、中央首題と名号は必須であるとの鯛焼きさんの答えの理由に、

〉一点だけ言わせてもらえれば「本尊とすべきは妙法蓮華経の五字」と「日蓮がたましい」等の御文から「南無妙法蓮華経 日蓮」とすべきは明白でしょう。

ですので日蓮宗でよくある「南無妙法蓮華経 ●●(その時の住職名等)」ではダメです。また宮沢賢治さんの書いたものも無名さんの資料でいけば②「要」式の御本尊、になるのでしょうが「全世界に流布すべき御本尊」になるかどうかと言えば否でしょう〈

とありましたので、当然大聖人様の魂が御本尊様なので、正しい曼荼羅御本尊様は、大聖人様そのものだと思うからです。
確か御本尊様は人法一箇だったはずです。
法としては相藐云々あるのか無いのかしれませんが、人としては大聖人様の魂のはずです。だから宮沢賢治さんが書写しても、人として大聖人様の魂になるのかなぁ?と漠然と思ったからです。

大聖人様が魂を墨に染め流したのが、御本尊様です!
凡夫の僕には大聖人様の気迫だけが漠然とつたわってくるだけですが、なんか並々ならんものを感じます。
だから一流の書道家や宮沢賢治さんではダメな気がします。なので鯛焼きさんや創価の皆様はどう思うのか聞いてみました。

三大秘法に関してですが
僕はスッキリハッキリしたい性格のくせにバカなので笑われるかもしれませんが鯛焼きさんと違って超シンプルです。
 
三大秘法と言っても全て大聖人様の人法なので滅後は本門の本尊が大聖人様です。

だから大聖人様(御本尊様)を信じて、題目を唱えるのが本門の題目

その場が本門の戒壇です。

それ以上もそれ以下もありません(笑)
ていうか知りません(笑)

なので信心のある無しにかかわらず、本門の本尊が正しければ三大秘法は成立します。何故なら大聖人様は一切衆生を見捨てないからです!

たとえ発心真実ならざるものも正鏡に縁すれば功徳猶多し!

大聖人様の仏力!仏力!あ~書いてて泣けてきた。

何かわかってきた。

いつも迷惑かけます。
tsさんお久しぶりです。
僕も日顕上人の御本尊を取り替えるとき、粘りました。(笑)

なんとなく思ったんですケド、何か違和感があったのですが、三大秘法って成立させるものではなくて、成立しているものを受持するものではないですかね?
アレッ何か違うか?

それはさて置き、鯛焼きさんの三大秘法だと創価学会員の中にも成立する人としない人がでてきますよ。
 
鯛焼きさんは成立します!が、宮田教授は心のなかでは大聖人様は御本仏と思ってないので成立しませんよね?

僕の知ってる支部長さんは鎌倉時代の日蓮と言っても、本当にいたかわからないだろ?今現実にいらっしゃるのは池田先生だと言っていたので三大秘法は成立しませんね?(笑)

なので同じ御本尊を受持して、同じ題目を唱えていても、三大秘法の人と三大秘法では無い人が存在するのです。
 
何かおかしくないですか?
おかしくないっ!って言われたらそれまでだけど。

そう!創!、そう言えば、、。

善知識コメントを拝見して
思い出しました。

相貌の事を。

実家のご本尊さまは、
日蓮正宗の日達猊下が
昭和41年に書写された曼荼羅でして、

私の家のご本尊さまは、
日蓮正宗の日寛上人が、
書写された曼荼羅です。

相貌に違いが確かに在ります。

だから何?て、
言われるかと思いましたが、、
駄文コメントまいど失礼。

Re: 書写した方によって変わるもの?

返信遅くなり申し訳ありません。
まず、TS様や梵天様が言われる、過去の法主が書写した御本尊の件です。

>私は日顕書写の本尊お取替えのときに、一番最後まで抵抗しておりました。入信してから10年以上も苦楽を共にその御本尊様に祈ってたくさんの功徳の体験をいただきましたから愛着は強く、地区拠点なので地区の方々に疑問を抱く方がでると困ると言われ渋々お取替えした経緯があります。
>仮にお取替えしないで今に至っていたとしたら、三大秘法が成り立つか疑問になるのでしょうか?

学会の会則改定の際に発表された原田会長、教学部の話では、

・これまで創価学会本部並びに各会員の家庭に授与されている御本尊はすべて学会認定の御本尊であり、具体的な信心の活動としては、これまでと変わりがない。

とあります。

つまり現在の日寛上人は当然として、日顕上人、日達上人書写の御本尊でも何ら問題はありません。他の上人の御本尊もあるかも知れませんが。で、TS様の場合、個人のみの部屋?でしたら別に日顕上人の御本尊でもよかったのでしょうが、やはり地区拠点ともなると全体感を考慮する必要があると考えます。

つまり大多数は「日顕上人の御本尊なんか拝めない!」という感じだったでしょうから。

要は、拝する側が「本門の本尊」として心の底から信じて拝せるか否かの問題かと思います。TSさんが日顕上人書写の御本尊でも心の底から信じれるのであれば問題ないでしょう。

>本門の本尊にはなっても、鯛焼きさんの解釈だと三大秘法が成り立つのかなとちょっと疑問に感じております、、、。
>線引きが何か情緒的だなあと思っています。

信心はマニュアル的には測れませんので情緒的という言葉が適切か分かりませんが、凡夫のその時々の心の変化によって対応すべきかと思います。

私は、別に日寛上人が悪意を持って大御本尊云々というのは無いと思ってます。その時代ならではの対応ですので。

> むしろ鯛焼きさんの主張や無名さんの資料に沿えば、宗祖真筆の本尊が現実不可能なら、宗門の法主書写にこだわらず池田先生書写の御本尊を会員に御下付するのが一番スッキリするように思うのですが、、、?

これも以前に書いたかもですが、会員の大多数がそのように思えばアリかも知れません。しかし当分はないでしょう。

Re: 何かわかってきた。

遅くなりましたごめんなさい。2つのコメントをまとめて、になります。

>法としては相藐云々あるのか無いのかしれませんが、人としては大聖人様の魂のはずです。
>だから宮沢賢治さんが書写しても、人として大聖人様の魂になるのかなぁ?と漠然と思ったからです。

ここがよく分かりません(というか、言いたいことは分かってるのですが)
「大聖人様の魂」「御本尊に魂がある」とはどういう事なのか、もっと分かりやすく書いて欲しいです。


三大秘法の説明、ありがとうございます。

>三大秘法と言っても全て大聖人様の人法なので滅後は本門の本尊が大聖人様です。
>だから大聖人様(御本尊様)を信じて、題目を唱えるのが本門の題目 その場が本門の戒壇です。

>なので信心のある無しにかかわらず、本門の本尊が正しければ三大秘法は成立します。
>何故なら大聖人様は一切衆生を見捨てないからです!

では、身延の方であっても(稲荷も信じるが)大聖人も信じて題目をあげれば三大秘法が成立すると?

法華講さんで仏壇に御本尊様を安置はしてるが、題目も唱えない方でもOKということですか?


>それはさて置き、鯛焼きさんの三大秘法だと創価学会員の中にも成立する人としない人がでてきますよ。
>鯛焼きさんは成立します!が、宮田教授は心のなかでは大聖人様は御本仏と思ってないので成立しませんよね?

宮田教授の真意は分かりませんので何とも言えませんが、おっしゃる通り、学会員であっても真面目に信仰しない人は、結局三大秘法を受持してないのと同義になります。


>僕の知ってる支部長さんは鎌倉時代の日蓮と言っても、本当にいたかわからないだろ?今現実にいらっしゃるのは池田先生だと言っていたので三大秘法は成立しませんね?(笑)

大聖人でなく池田先生を「本仏」と思っているのならアウトかもですね。ただそういう師匠を思う気持ちは分かります(笑)


>なので同じ御本尊を受持して、同じ題目を唱えていても、三大秘法の人と三大秘法では無い人が存在するのです。

おかしいとは思いません。
朝晩勤行唱題に一生懸命励む方と、そうでない方とで、同じ功徳が出るのでしょうか?


追記

三大秘法が成り立つ、という表現ですが、言ってることはハチャメチャですが樋田さんなんかも使ってますね?

>また、「南無妙法蓮華経」の「題目」を「本門の本尊」と見立て、ここに三大秘法が収斂するとしても、今度は、十界文字曼荼羅の「本門の本尊」が行方不明になり、やはり、三大秘法が成り立たない。
>クズ犬の怪釈では、どう転んでも 「三大秘法」 が成立しないのである。

http://toyoda.tv/kan130.htm

日蓮正宗のこちらのお寺さんも。

>したがって、三大秘法総在の本門戒壇の大御本尊を離れて、三大秘法は成り立たないのです。

http://www.honsyuji.jp/daigohonzon/5019735

以上乱文になってしまいました。
よろしくお願いします。

スッキリしない原因

 ご返答ありがとうございます。今日は酒場での雑談気分でお話しさせていただきます。

 鯛焼きさんの本尊論の主張に理屈としては理解しても、何か感情としてスッキリしない所が当初からあったわけですが、その理由がわかってきました。

 >>要は、拝する側が「本門の本尊」として心の底から信じて拝せるか否かの問題かと思います。TSさんが日顕上人書写の御本尊でも心の底から信じれるのであれば問題ないでしょう。<<

 そうなんですよ、、、。心の底から信じれるという思い、、、、。

 破門されたあとしばらく本尊下付ができない時代があったのですが、その時はルネサンスの新しい活動形態として新鮮でもあり会友制度もでき、内得信仰三年で活動家に育ててから御本尊下付してきた私にとっては、お得意の楽しい時代でありました。

 さて本尊下付できるようになる話があった時に、どんな御本尊様が下付されるのか、おおいに期待しておりました、、、。

 日蓮大聖人真筆のものなのかなあ、日興上人なのかな、まさか大御本尊と同じものかもしれないな、いや広宣流布大願成就の常住御本尊かもしれない、、、。

 など勝手に妄想を膨らませておりました。(笑い)

 日寛上人の御本尊と聞いた時は、こんなこと思っちゃ信徒としていけないのでしょうが、

 「え、そこなんですか、随分中途半端なところに落ち着いてしまったなあ、、、」

 というのが正直な思いでした、、、。

 それに後で知ったことですが、江戸時代の一信徒に授与されたものを修正したものと知り、なんだかなあという思いを抱き、何故宗祖の本尊にできなかったのか、幹部に聞いたものですが新聞の公式見解以上のものは、誰も答えてくれない状況でした、、、。

 私なりにネットで調べて同じ興門流の保田妙本寺の万年救護大御本尊に興味を抱いたこともありました、、、。(宮川の件は承知しておりますが)

 要は何が言いたいかといえば、

 歴代の法主や創価の会長であろうと、聖人君子のような方ではなく、叩けば何かしらのほこりがでるような方が書写したものに、100%スッキリできるのだろうかという思いが自分の中にあるんだな、、、。

 宗祖の御本尊様をご安置したいという思いを封印し、我胸中の御本尊、我が身宝塔、妙法蓮華経の当体、九識心王真如の都でいいじゃん、、、。

 と自分を納得させてきたことが、今回の対話のなかで昔の冥伏していたものの感情が蘇ってきて、スッキリしない思いをしているんだということに気づいた次第です。

 宗門世代の私には、支部長にはあるまじき(笑い)対宗門の教学力を持つ鯛焼きさんに、いろいろお聞きしまして再確認したいことは山ほどあるのですが、このテーマは私が首突っ込まない方が賢明、親宗門の方との対話を主にされた方がいいと今は思っております、、、。

 一段落したときに封印を解いてお聞きするかもしれませんので、その時にはよろしくお願いします、、、。(笑い)

 追記

 陽気なお兄さんの梵我一如さんのコメント今後も楽しみにしております。
 
 仲良かった創価班同期の宗門に行った方とは、見解の相違はあっても、私は親しくお付き合いさせていただいております。

 とかく創宗の不毛の論争が多い中、大人の対話ができる貴重な方と思っております、、、。

 シニフィエさんの考えに同調されているアンチの方々にも、冷静に大人の対話ができる方をこちらは求めているのですがね、、、。(残念)

 

 

 

 

 

 


 

Re: スッキリしない原因

素直な心情を吐露してくださりありがとうございます。

まあ釈迦に説法ならぬTS様に確認ですが、学会の教学サイトより転載します。


受持即観心(じゅじそくかんじん)

末法の凡夫が成仏するための観心の修行は、南無妙法蓮華経の御本尊を受持することに尽きるということ。日蓮大聖人が「観心本尊抄」で明かされた。同抄には「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」(246㌻)と仰せである。釈尊の因行(成仏のために積んだ膨大な修行)と果徳(修行によって得たさまざまな功徳)のすべては、仏種である「妙法蓮華経の五字」すなわち南無妙法蓮華経にそなわっている。

よってこの南無妙法蓮華経を受持することで、おのずと仏の因果の功徳を譲り受けることができる。具体的には、大聖人が図顕された南無妙法蓮華経の御本尊を信じて受持することが成仏のための観心となる。すなわち「信心」が「観心」となるのである。

TSさんの組織の人。

今晩は。
今日はちょっと忙しくて、アルコールも入ってますので、切れ味鋭い?コメントができないかもしれませんが宜しくお願いします。

tsさん僕のようなペーペーをリスペクトしてくれてありがとうございました。
tsさんの組織の方は皆tsさんを尊敬していることでしょう。人柄が滲み出ています

まず御本尊には大聖人様の魂が籠もるに関してですが、人法一箇としか説明の仕様が無いです。鯛焼きさんの質問の趣旨がちょっと分かりません。阿呆の僕でも分かるようにもう一度質問して下さい。

それから三大秘法についてですが、まず、想像してみて下さい。(ジョン・レノン)
(笑)
日蓮大聖人様が貴方の15m先に現れました。そしたらもう三大秘法は成立していませんか?だって本門の本尊、本門の題目、本門の戒壇、全て大聖人様に備わっているではありませんか?

三大秘法の其の体如何、日蓮の己心の大事に如かず。by三大秘法抄

だからこそ本門の本尊が最重要になってくると思う訳であります!(敬礼)

竜ノ口で大聖人様を斬ろうとした者の何人かは御本仏の振る舞い、御威徳にもう念仏は申しませんと数珠を捨て題目を唱えたというではありませんか。

これぞまさに三大秘法ではないですか?
だから僕のようなマヌケでも謗法のモノでも生身の大聖人様に縁すれば、正信のものになるのです。

よって、凡夫が大聖人様をご本仏と思うか云々関係なく大聖人様のおられる所が三大秘法なのではないでしょうか?

そして今日のサビ行くよ〜♪
 
大聖人様が方便で涅槃を現じた後末法万年の一切衆生を救うため法華経の法理のママに魂魄をとどめ置かれた生身の大聖人様こそ! 大聖人様の出世の御本懐、弘安2年10月12日本門戒壇の大御本尊様なのです。

だから僕の三大秘法は本門戒壇の大御本尊様=大聖人様。大聖人様から離れて三大秘法は無いのです。
なので身延派の方は教義云々では無くて、大聖人様から離れているので、
三大秘法が成立とかでは無くて、三大秘法を受持していないと思うのです。

因みにたとえ法華講の方で信心が無い人でも大御本尊に題目を唱えれば、防非止悪の功徳を受けると思います。

なんせ慈悲広大な大聖人様ですからね。
エヘヘ。

あっ因みに樋田さんのユーチューブはほとんど見てません。学会やめる頃少し見ましたがギガ制限が少ないのであまり見れません(笑)だから鯛焼きさんの提示したクソ犬?は意味が分かりません。

その後のお寺の資料はそのとうりだと思います。僕の言ってる事ですよね?

ちょっと調子に乗りすぎたかもしれませんがお許しを〜。

追記。保田妙本寺。

またまたスミマセン。

僕は学会辞める!となったのは二回あるんですが、一回目の時は、日蓮正宗に行く気は無くて、宗派を超えて内徳信仰しようと思ったんです。

その時、またまたtsさんと同じですが、保田妙本寺の万年救護の御本尊を拝見したいと思っていました。
ただ家から遠いので辞めました(笑)
   
tsさんに陽気な兄さんと言ってもらいましたが最近鏡をみると髭にも白髪が半分くらいになってきました。 

若いつもりでもどんどん今世のギガが無くなっていきますね(笑)

tsさんの言うとおり宗創論争は人格攻撃にまでなる事もありますが元は日蓮正宗創価学会だったはずです。
 
日顕上人猊下と池田先生が喧嘩して、分裂しちゃいましたね。残念ですね。

喧嘩しなかったら教義も変わらなかったのにね。

僕もtsさんの言うとおり、学会は大聖人様の真筆御本尊様か池田先生書写の御本尊にすれば良いと思います。

そうすれば宗創論争も形をかえるでしょう
まぁケド池田先生の御本尊は賭けですな。(笑)

No title

教義なんかわからないおまえはすっこんでろ!!というアイスティーでしょうが、そこは承知で単純に質問します。
TSさんでも天パさんでも梵我一如 さんでもいいです。

お寺の本尊と創価の本尊がそんなに違うなら、(ホンモノのザラザラとコピーのツルツルの差?開眼の差?)
「こっそり」すり替えたら、あなたはわかるのでしょうか?
コピーでも、ホンモノそっくりを書写できる中国のコピー職人の作品でもいいです。
見た目は見分けがつきません。

あくまでそうだと信じる人が、この本尊はこのような経緯のこのようなものだと聞かされて、「そうなんだ」と思うから、力があると信じられるのでしょう?

ある朝、何も知らされずに大好きな本尊が、見た目がそっくりの「天敵の本尊」にすり替わっていたらどうなんですか?
私は「ああやっぱりさすがにホンモノは違うなあ。これに向かって唱題すると清々しくなるなあ」と変わらず感じると思いますよ。
知っていたら破りしてて生ゴミに出せるものを、です。

私はその昔、折伏経典が服を来て歩いているようなおばちゃんに
「知る知らずに関わらず、この世にはこれが正しいという法則がある」
と教えられました。
知る知らず、信じる信じないに関わらず、正しい本尊には力があり、邪宗は害毒で災難をもたらすとね。
今なら「ウソつけーー!!そんなもの信じるからそう思うだけでしょ」と言えます。

「正しいから信じるではなく、信じるから正しいと思う」ってことです。

私はお寺の曼荼羅も創価の曼荼羅も、両方を信じたらその違いなど、「全く、これっぽっちも」わかりませんでした。
曼荼羅取り換えの際も、自分には違いがわからないから面倒だし、いいと断りました。
そしたら強烈なおばちゃんに、しまいにはそんなんじゃ誰もあなたの家にいっても題目三唱もできないといわよ!と怒られて、じゃあ勝手にしろと思いました。
今思うと、それもただノルマ?数字?集計?報告?のためだったようですけどね。

それはさておき、結果その過程においても、それ以前においても、その後においても、私には本尊の違いなど実感できなかった。

皆、文証より理証より、実証こそが大事と言いました。
がしかし、「ホンモノもカラコピもちゃんと信じたらどっちも同じ感覚だったよ」という都合のわるい体験、実証は無視します。
それはタブーなんでしょうかね?

私は穿った気持ちで本尊に手を合わせたことはありません。
なぜなら根から無駄なことが嫌いで、心から祈らないと通じないと習ったからです。
ならば、通じないことに時間を無駄にするのが嫌だなあと、手を合わせる時はしっかり心を入れました。

心から純粋に手を合わせた人間がそう言っているんです。
本尊に違いなんてなかった。
どんな理屈を持ち出しても、ここにこう書いてあると言われても、です。

本当はなんでもいい曼荼羅に、「いや何でもよくない」と信じさせることによって、信者にとっては教えの差も価値も出る。
多いに出る。
これが宗教の本質と私は思います。

何が言いたいかというと、だから「自分はこれがいい」と信じるなら、信者には力があるんですよ、どちらにも。
なぜそこまでして、相手がいいと思っているものを貶めなければならないのか?
特に創価へのパッシングが酷い(まるで親の仇レベル)一部のお寺の方が不思議ですね。

Re: No title

御指摘の件、何点か決定的な誤り(誤解)があるのですが一点だけ。

>お寺の本尊と創価の本尊がそんなに違うなら、(ホンモノのザラザラとコピーのツルツルの差?開眼の差?)
>「こっそり」すり替えたら、あなたはわかるのでしょうか?
>コピーでも、ホンモノそっくりを書写できる中国のコピー職人の作品でもいいです。
>見た目は見分けがつきません。

まず創価学会で授与されている日寛上人書写の御本尊と、宗門で授与されている日如上人(や日顕上人)書写の御本尊は、一発で見分けがつきます。すり替えたら「あれ?違う!」ってなります(笑)

ですのでその例えは不適切です。

あとは、TSさんでも天パさんでも梵我一如さんでもいいです。とのご指名ですので一旦遠慮します(笑)

No title

鯛焼きさん

「見た目が違う」二つの本尊には違いがあるんですね。
わかりました。
でも本尊なんて法主が変わるたびに「見た目」は変わりますけどね。
まあ「妙」の字を見ろと言われて、それしか見てなかった私には似たり寄ったりで、それもよくわかりませんでしたが(笑)

ではそれ以前に
破門される前の本尊と、破門直後の本尊(取り換えが行われる前の本尊)は同じですよね?

でも「全然違うから取り換えろ」と言われました。
その違いは何か?
現場の説明によると、
「僧侶が赤いスポーツカーに乗って豪遊していた」
「池田先生とたがえた」
これを聞いた途端、宇宙法則の如く、絶対正しかった曼荼羅に突如変化が起きたらしいです。

私は会員でしたが、そういうことに別段動じず、ふうんと思いました。
宇宙法則とまできいたレベルにしては、どうでもいいことと思えたからです。

そんな私には、本尊の違いなど全くわからず、動じた人には「全然違うもの」になった。
これなんですよね。

根本は「それでどう思うか」です。
信じる、信じないで価値なんて決まるんじゃないですか?

どなたでもいいです。
私は日蓮一派独特の教義論争が奇異に思えて仕方ないんです。
明解、率直な文章でお願いいたします。

Re: No title

>ではそれ以前に
>破門される前の本尊と、破門直後の本尊(取り換えが行われる前の本尊)は同じですよね?

これはいい例え(ではなく事実)ですね!

どなたか、よろしくお願いします。

ご指名を頂戴した♪テンパでぇーす。

アイスティさま
ご指名ありがとうございまぁーす♪

源氏名は天パです♪
今夜も楽しく参りましょう♪

で♪
真面目な話と相成りますが、、

日蓮大聖人様が
末法の御本尊様である事を
信仰者として信じ貫けてる?か、
そこが重要で御座います。

単に、
幸せに成れる法則?
(宇宙を貫く妙法のリズム)を発見した
鎌倉時代の乞食坊主なんじゃねーのぉ?
などと、思われる方には、

今ある御本尊(コピーも含めて)単なる
曼荼羅です。

紙に「南無妙法蓮華経 日蓮」と、
書かれているダケですから。

相貌が正しければ、
何でもOKと成増?

東武東上線は朝から激混み?

以上です。

今晩は。

最近、鯛焼きブログにコメントするのが日課になってきました。

アイスティーさんへ。

世の中の人に僕と鯛焼きさんの質疑応答を聞かせたら、100人が100人、僕と鯛焼きさんを可哀相な人だと思うでしょう(笑)
そして100人が100人アイスティーさんの言ってる事がマトモだと思うでしょうね。

アイスティーさんの仰った、

〉ではそれ以前に
破門される前の本尊と、破門直後の本尊(取り換えが行われる前の本尊)は同じですよね?

でも「全然違うから取り換えろ」と言われました。
その違いは何か?
現場の説明によると、
「僧侶が赤いスポーツカーに乗って豪遊していた」
「池田先生とたがえた」
これを聞いた途端、宇宙法則の如く、絶対正しかった曼荼羅に突如変化が起きたらしいです〈

これ!凄く分かります!
僕は幹部に「池田先生がコレで行くって言ったらそれが全てだ!四の五の言うな」
と言って変えたくなくて粘る僕を力技でねじ伏せました。(笑)
そこなんですよね。
池田先生と僧侶が喧嘩したら、
宇宙の法則も変わっちゃう?はぁ?
そんな訳ないですよね。
それじぁあ宇宙の法則は池田先生中心に回ってるみたいですね。
だって法則というのは池田先生が生まれる前から創価学会が誕生する前から、変わらず存在するハズなのに。

あと、御本尊様に関してですが、こちらが信じれば違いなどないということでしたっけ?読み直してすぐコメントします

お疲れ様です。

皆様お疲れ様です。
アイスティーさんのコメントで

〉本当はなんでもいい曼荼羅に、「いや何でもよくない」と信じさせることによって、信者にとっては教えの差も価値も出る。
多いに出る。
これが宗教の本質と私は思います。

何が言いたいかというと、だから「自分はこれがいい」と信じるなら、信者には力があるんですよ、どちらにも。
なぜそこまでして、相手がいいと思っているものを貶めなければならないのか?
特に創価へのパッシングが酷い(まるで親の仇レベル)一部のお寺の方が不思議ですね。〈

今晩は。
まずホントはどうでもいい曼荼羅なんですが、僕にとってはどうでもよくないのです。何故かというと、僕は仏法というものは本当にあると信じているからです。
仏教には、宗派関係なく色々な基本のようなルールみたいなのがあります。
悟りへいたる基本事項みたいな。
そのひとつに戒、定、慧、の三学というのがあって、この三学を正しく修行することが必須だそうです。
日蓮大聖人の仏法は三大秘法が戒、定、慧の三学にあたります。
なので三大秘法の一つでも間違えてしまうと正しく修行することができず、仏道を成就できなくなるのです。

アイスティーさんからみたら阿呆らしいことだと思いますが、どんなに信じていても
本尊を間違えては、仏道を成就できません。何故ならば、どんなに強く信じても、信じたひとが詐欺師だったら酷い目に合うからです。
いくら信力、行力、があってもそれだけです。仏様の仏力、法力が修行者の身に現れてはじめて仏道を成就できるということです。
 
本尊と言うのは仏様そのものなので、仏を間違えると、仏力、法力は得られず、絵に書いた餅になってしまいます。
                  
曼荼羅は何故あの相藐になったのか?
知っているのは日蓮聖人だけです。
そして、僕は阿呆ですけど、お釈迦様から数千年幾人もの天才的な修行者たちが、仏法に命をかけて伝承してきました。
そして日蓮大聖人がその仏法の一切と魂を本尊として現したのです。
僕にはわかりませんが、鎌倉時代、室町時代、江戸時代と幼少の頃より仏教に命をかけた先達たちが日蓮仏法に帰依しています。なので僕は、この本尊は、一見どうでもいいようにみえるかもしれませんが逆に深いものを感じています。

アイスティーさんへ

 本尊論は一旦封印してと思っていたのですが、流れ的に(笑い)私見を述べます。

 創価の公式見解は鯛焼きさんに譲りますので、私のご質問に対する感想とご理解ください。

 入信前にさんざん屁理屈こね回して質問しまくった私からすると、アイスティーさんのお気持ちはよくわかりますよ、、、。

 700年前の紙札を拝んで何で今の人間が幸せになるんだよ、、、。そんないいものならとっくに広まっているだろう、、、。

 こんなレベルからスタートしていますので、シニフィエさんのブログのコメントにも2世3世の方が信仰をやめて抱くいろいろな疑問が、ほとんど私が入信前に疑問に思っていたことなので、逆バージョンの展開になって辞めていくんだなと、いつも感じておりました。

 さて本題ですが基本は梵我一如さんとほぼ変わらないのですが(信じる対象によって違いはあるという立場です)、念仏の本尊に唱えたこともありませんし、様々な宗派の本尊を実践して比較しないと説得力あるお答えはできないと思っておりますのであくまで主観になります、、、。

 私が実際に入信して実感として人生にプラスになる信仰だと確信しているので、(ここは思い込み、錯覚、プラセボ効果だろうと言いたいのは理解しておりますが)悩んでいる方がいれば、
何度もお話ししているように、

 「騙されたつもりで本気で実践してみて、変わらなければ辞めればいいのでは」

 とのスタンスで外部や未活の方に薦めているわけです。

 その上で現実的に世界中にこれだけ多くの会員が喜々として活動しているのをみれば、創価が下付した本尊と指導性に何かしらの人生に対して良い影響があると判断してもいいのかなとは思います、、、。

 信仰の功徳というのは顕益が常に出ていれば信仰していない方にも理解しやすいでしょうが、現実はそうではなく主観的な見方だろうと思われることが多いです。

 ですから組織の会合などで信仰体験を聞いて、良い意味での触発を受けることが大切で、ある意味おせっかいでしょうが、創価家族と言われるコミュニティーも重要な役割を担っていると思います、、、。(シニフィエ論からすればそれがMCの一貫といいたいのはわかっておりますが、、、)

 創宗の本尊論争には、理屈はいくらでも後からつけられると申しますが、正直優先度の高いテーマと思っておりません、、、。(学者や教学部に任せて一般の会員はその結論に自身が判断されればよろしいかと、、、。)

 一切衆生の成仏を説いた法華経を命がけで宣揚された日蓮大聖人の想いにはせれば、現実の生活に悩んでいる方に、自身の中に尊極の生命を開いて希望と勇気を与えていくという地道な実践が優先度の高いことと思っております、、、。

 創価側が敵視(?)している共産党や宗門の方とも、私は親しい関係を築いているので、創価新報のような記事はあまり好きではありません、、、。

 日蓮仏法というものの現代における解釈に対する価値観の違いで離婚したようなものだと私は思っておりますので、近親憎悪というか別れた相手を責めて己の正当性を主張しすぎるのは、世間的にみても別れた男のすることではないという失恋豊富な私のポリシーが、邪魔しているのかもしれません、、、。(笑い)

 失恋した女性の思い出の品を処分して未練を断ち切るタイプなので、日顕本尊もお取替えするのは止む無しかと今書いていてそう思いました、、、。(笑い)

 こんなところでよろしいでしょうか、、、?

 あ、それと前から気になっていたことを思い出しまして、鯛焼きさん知っていれば教えてください、、、。

 愛着のあった渋々お取替えした御本尊は、お寺に返却されたのですか、、、?
 
 幹部に聞いてもわからないとのこと、学会側の判断で処分されたのですか、、、?

 そういう会員の心情に対しての丁寧な対応をしないことが、中枢に対しての不信感につながることと思います。

 創価の本尊観からすれば、お寺に返さず処分されたとは想像しておりますが、、、。

 逆に宗門の方は返却された御本尊の扱いはどうなっているのかも気になりました、、、。

 開眼の反対のような儀式はあるんでしょうか?

 会員の緊急手術ということで、有給とって御秘符の申請のときの大石寺の事務的な対応にもお寺側に不信感を持ったことも思い出してきました。

 御秘符の効果は支部員一同感じましたが、御秘符の創価側の見解ってあるのですかね、、、?
(意識ない方だから一念の強さ、プラセボ効果とも言えないと思いますが、、、)

 それとお肉牙なんていう話も聞きましたね、、、。

 宗門世代の封印を解くといろいろ思い出してすみません、、、。(笑い)

 本題と違いますし、急ぐ話でもありませんのでご存知でしたら教えていただければと思います。

 

 

 

No title

天パさん、梵我一如さん、ありがとうございました。

天パさん
>日蓮大聖人様が末法の御本尊様である事を
信仰者として信じ貫けてる?か

そうできる人には曼荼羅は力があるもの

>単に、幸せに成れる法則?(宇宙を貫く妙法のリズム)を発見した鎌倉時代の乞食坊主なんじゃねーのぉ?などと、思われる方には、今ある御本尊(コピーも含めて)単なる曼荼羅です。

はい、そして私も含めて信じてない人には、ただの紙きれです。

結局この通り、信じる信じないに関わらず曼荼羅に価値があるのではなくて、信じる人には価値があって、力があって、心の支えというか、なくてはならない指針になるものと思います。

ここが重要と思います。
「こうだと信じる人には、価値があり、力がある」
否定はしません。
異論もありません。
だから、学会員が信じるものも、学会員には価値があって力があるんです。

同じようにお寺の方も、お寺の信じるものに、お寺の信者さんには価値があって力になるんです。

それをお互いに、「認めるのは自分のとこだけ」と他を否定しなければならない理由がわからない。

梵我一如さん
>日蓮大聖人の仏法は三大秘法が戒、定、慧の三学にあたります。
>なので三大秘法の一つでも間違えてしまうと正しく修行することができず、仏道を成就できなくなるのです。
>どんなに信じていても
本尊を間違えては、仏道を成就できません。
>何故ならば、どんなに強く信じても、信じたひとが詐欺師だったら酷い目に合うからです。

これも、梵我一如さんがそう「信じていること」

ご自分では、信じようと信じまいとそんな物理法則のようなものがありき、と前提に話されてるのかもしれませんが、ふつうの人はそこからして「ふうん」なんですよ。
そんなことを信じてる人もいるのねと。

「自分の信じる理屈は正しいけど、間違っている理屈を信じているアンタは酷い目にあう」
信じたものがこんなことだったので、他者を否定するわけですね。
必死に相手の理屈を聞いて、
「は?なんだって?メチャクチャじゃないか?それ違うよ。教えてあげるね」
そういうことですね。

全くとんでもないものを信じこまされましたねという他ないです。

信じることは尊い。
でも何を信じるかが大事と仰るなら、私はそれこそ、なんとも厄介で排他的なことを信じたんだろうと思いますよ。

実際、その「どんなに信じていても本尊を間違えては、仏道を成就できない」という考えを信じた結果どうなるか。

梵我一如さんの仰る「間違ったもの」にも「正しいもの」にも両方に純粋に手を合わせた私が「違いがわからない」と言っても何も答えられない。
実証、実証と言いながら、それはスルーするしかない。
人の幸せを喜ぶどころか、否定して「それはない」「勘違いじゃない?」「狂ってるね」とでもいうしかない。
「正しい」と「間違ったものがある」と信じあった者同士が「うちこそ正しい」「おまえは違う」と罵り合う…

これ以外の何があるんですか?
傍から見たらよほど狂ってますよ。
その姿をみて、ああさすがは唯一成仏する人たちは違うなあと思うでしょうかね?

私は梵我一如さんが、自分の信じることによって幸せを実感するのはいいと思いますよ。
全然バカにしないし、価値もわかります。
でもそれは自分の専売特許で他は認めないとなると、一転全然魅力を感じませんね。

それでも他者を貶めたいのなら、私が二つの本尊をどちらも否定しないで祈った結果、どちらも同じように「救われた」と感じたし、支えにもなった理由を明解に教えてください。

アイスティーさん。

ハハハ。ホントですね!
仏教もただ僕が信じてるだけですもんね!

仰るとうりです。

まぁでも僕は創価の人を貶めたりしてはいないと思いますよ。
だって僕も創価学会員でしたからね。

僕が鯛焼きさんとやってるのは、詰り合いをしている訳ではありません。
昔から仏教に於いて正邪をハッキリさせるために対論をするのです。
まっ僕のレベルではタダの対話ですけど。

なので僕は楽しく対話させてもらってますし多分鯛焼きさんも別に僕のことを貶めようとは思ってないと思いますよ。

tsさんに至っては素晴らしい人格が滲みでてますよね。(笑)

あくまでも仏教を信奉している都合上、
正しく修行するための話し合いです。

でも僕の鯛焼きさんとの質疑応答で不愉快にさせたとしたら、ソレは申し訳ありませんでした。

補足 本尊すり替えの例え

 アイスティーさんが上記の面白い例えを話されたのでお答えします。

 仮に留守中に御本尊が精密な3D印刷のようなものに交換されて気付かないという仮定の話があるとします、、、。

 創価の場合、本門の本尊として認定しないでしょうが、鯛焼きさんの本尊論なら、同じように功力があるという考えになると思います、、、。

 宗門の場合、その本尊には法主の開眼がないものなので、ただの紙切れになり功力はなくなるという考えになると思います、、、。

 私は宗祖の精神で信仰されている方なら、どちらも今までと同じように功力があるという考えです、、、。

 また創宗人格否定まで罵り合うとのことですが、リアルの対面でそんなことをする信徒はごくごく一部だと思いますよ、、、。

 ネットの世界は匿名を笠に、罵り合うような方もお見受けいたしますが、圧倒的多数の信徒は教義論争なんかは関心薄いと思います。

 梵我一如さんなんかはアンチ創価でありながら、非常識な対応はしていないと思います。

 法の厳格性において議論しているわけで、お互い人格否定して地獄に落ちるだとか、罵り合いとは無縁と私は思っておりますが、、、。

 シニフィエさんだってリアルで私や鯛焼きさんと対話をするときには、世界の山根やサバンナのような口調にはならないと思いますし、大人の話し合いができると思います、、、。

 ネットの論争だけみれば創宗独特の世界だとは思いませんよ。政治の左右の対立、巨人阪神の対立、果てや趣味の世界においても、自身のこだわりのあることに対して、リアルではありえない大げさな罵り合いは、炎上という言葉があるくらいですから、創宗特別なことなんでしょうか、、、?

 以前アンチ創価の方からも匿名をいいことに執拗な罵りを受けイヤな思いをされたとアイスティーもコメントされていたと思います、、、。おそらくさしで会おうといったら煙に巻いて逃げていくのがオチじゃないでしょうか、、、。

 リアルな場においてもダメ出しさんのような振る舞いをされる方がいるとしたら、創宗共に時と共に相手にされないのではないでしょうか、、、?

 

 

No title

梵我一如さん、TSさん
改めてありがとうございます。

お二人とも、決して人を貶めるコメントを書いていないことはわかります。
また対話もできる方と思います。
創価脳とは対話にならないとか、お寺も同じとかではないですね。
アンチもシンパも関係なく、人によると思います。

ネットになると「人が変わる」
これもあるでしょうねえ。
私だって、リアルでふつうに生きてきて、こんなこと人に言われたことない、言われるわけないことをネットでは山ほど書かれました。
わざわざ「死ね」と書かれたコメントを送られたりもそました。
死ねって、私、死をもって償うようなことしましたっけ?
ホント、一切が大袈裟になるというかなんというか、「何か」に酔うんですかね?
自分が大きくなるんですかね?ネットって。

そういうわけでネジが飛んでるように見える(口わるくてホントすみません!!)日蓮一派の方たちも、騒いでるのはごく一部。
ネットに踊らされているのは、誰でもない私なんでしょうね。

穏やかでまっとうな返信に重ねて感謝申し上げます。
りがとうございました。

No title

御本尊の中央に「南無妙法蓮華経 日蓮」と書くことで、日蓮の生命と自身の生命が感応する。
また、御本尊を書写した人は、日蓮大聖人に成り代わって御本尊を書き表したことになるので、御本尊に「〇〇 奉書写之」と名前が書かれていれば、書写した人の生命と自身の生命が少なからず感応する。

何人もの元法華講員あるいは日顕本尊を安置していた学会員の体験ですが、日顕が書写した御本尊に勤行をしていると、命の底から人間を小馬鹿にする権威主義の命(第六天の魔王の働き)が湧いて来たそうです。

【樋田昌志氏の動画より】
https://www.youtube.com/watch?v=OOypf8Pz1-A&t=5m25s
「もうアンタはね、本当に、人間としての機能が回ってない、脳に。現実に今どんな仕事してるの? …よかったね、頭あんまり使わなくていい仕事で…」
※樋田氏への反論は、下記URLのコメント欄にあります。
http://sokataiyaki.blog.fc2.com/blog-entry-69.html

「信者がわがまま言ってだね、なんだドイツ語みたいで難しくてわかんない。なに言ってやがんだ。なっ! 難しいの当たりめえなんだよ! ふざけんなって言いたい。やさしく説けばいいって、そんなもんじゃねえんだ!」
「あのねー、ミーチャンハーチャンに分かるようにペコペコよ、頭下げて説いてたらよ、本当の法なんか説けやしないんだ」
「民衆、民衆って言う奴ほどバカなんだ」
「民衆が一番大事なんです。ネヘッ、何をふざけたことを言ってる」
「お題目を唱えて、我々の仏界涌現、仏界涌現っていうんだ。これはまさしく大謗法だよ、これは」
「そんな簡単にね、我々凡夫が、仏界が現れたり悟ったりできるんだったら、末法の凡夫はみんな仏になってんだよ。みんな狂ってるバカな奴ばっかじゃないか。こりゃもう、まったくその仏界はね、現じ難いんだ」
「人間主義、人間主義なんて言うこと自体、お前らの頭、どっか狂ってんじゃないのかって言ってやんなさい」
(平成6年8月24日、全国教師講習会での阿部日顕の発言)

ダメ出しブログ管理人は、日顕書写の御本尊を安置。
「創価の創立記念日に、創価の大嫌いな顕師書写の御本尊をいただくってことは これからも創価を破折しなさい。とのご本仏からのメッセージなんだと受け止めた」
http://sokadamedasi.blog27.fc2.com/blog-entry-464.html

宅間守(元死刑囚)の実家の部屋には、日顕書写の御本尊が置いてあった。宅間が事件を起こしたのは2001年。
※左端上部に「授与之」、右端上部に「為現当二世」の文字がある。学会授与の日寛書写本尊には、それらの文字がない。
創価学会は1993年(平成5年)10月から「日寛上人御書写の御本尊」を授与し始めた(日顕書写本尊との交換)。
http://blog-imgs-47-origin.fc2.com/j/a/p/japan0609/takuma_mamoru_room-sgi.jpg

暇なので(笑)

こんちは。
誰も追加コメントが無いので
コメントします。

無名さんがチョイチョイ資料を挟んで頂けるので、よく色んな所で勉強されているなぁ〜と感心しております。

しかし今回アイスティーさんとの宗創の対立に関しての対話の後のこのタイミングで
この資料?を持ち出してくるのは、良くない気がしますよ。

突っ込みどころは満載ですが、控えさせて貰います。

が、宅間守被告に関しては、恥ずかしいのでもちだすのはやめたほうがいいですよ。

理由はご自分の頭でお考え下さい。
失礼しました。

日蓮一派独特の教義論争が奇異に思えて仕方ない

創価系ブログって
パンチの効いた、楽しい記事が
多かったのですが、
最近は、、
たい焼き支部長のブログしか、、
パンチの効いた、楽しい記事を
拝見できません、、。

信仰心について考えさせられる
ブログは散見できますが、、

ネットに見られる創宗の醜い争いを
良しとしない方には、
コピペ記事など、
どぉーでも良いんじゃねーの?
と、個人的には思う次第です。

No title

◆デマ①「宅間と獄中結婚した女性は創価学会員だ」

創価学会員ではない。クリスチャンで博愛主義者の死刑廃止運動家。宅間の葬儀はキリスト教関係の施設で行われた。
https://convenience.typepad.jp:443/news/2014/08/%E5%AE%85%E9%96%93%E5%AE%88.html

◆デマ②「日蓮正宗の信徒名簿に宅間守の名前がないので、宅間は創価学会員だ」

『創価学会・公明党の犯罪白書』(山崎正友著、第三書館)に、「本山の名簿に宅間守の名は載っていなかった」と書かれているだけ。宅間の父親の名前は載っていたのかも知れないし、第三者が確認したわけではないので何とでも言えるだろう。
山崎正友は、自ら仕掛けた第1次宗門事件を背景に顧問先の創価学会から3億円を恐喝した罪で逮捕され、懲役3年の実刑判決を受けて、刑務所に服役した、自称〝ムショ帰りの前科一犯〟。恐喝事件裁判で山崎は、判決文に「公判では幾多の虚構の弁解を作出し、虚偽の証拠を提出するなど、全く反省の態度が見られない」と記された通り、ウソの証言や証拠を並べ、浜中和道にウソの供述を強要するなど、偽証を重ねた。さらに、「月刊ペン」裁判でもウソの証人を送りこんだり、自ら出廷してデタラメな供述をするなど、偽証を繰り返した〝偽証常習犯〟。

◆デマ③「宅間守が日蓮正宗だとすれば、創価学会は『創価新報』等で日蓮正宗叩きのネタにしない訳がない。大阪の学会員にウソがバレてしまうので、『宅間守が日蓮正宗だった』というデマは『創価新報』に載せられない」

幼い小学生が無差別に殺された凄惨な事件だけに、『創価新報』も日蓮正宗叩きのネタには出来なかった。地元である大阪の学会員も宅間のことを知らなかった。

仏壇が鶴丸の紋で、本尊が阿部日顕と来れば、時期的に判断しても“日蓮正宗”であることは明らかだ。
宅間守の父親が、日蓮正宗(日顕宗)と深い関係にあった社会党の支持者であることからも、法華講員である可能性が高い。

「宅間の実家に行ったのは事件発生の4日後です。最初にオヤジを見たときは下着姿でわーわー言ってるから、大丈夫かな? と思いました。他の取材班が帰りはじめたとき、『お父さん、ちょっと話聞きたいから今晩行っていい?』と聞いたんです。『何時でもかめへんで』と言うから、19時すぎに行きました。奥さんは老人ホームに入っていて、オヤジは一人暮らしでした。その日は事件のことは一切話しません。オヤジは社会党の支持者で労働組合員だったことや、同じ鹿児島県出身だから好きなのか、明治時代の海軍大将の東郷平八郎のことなんかをべらべら喋っていました」
https://www.vice.com/jp/article/kzpzzm/murder-scene-interviewer-toshiyuki-kobayashi
http://www.houonsha.co.jp/jiyu/17/615.html

★村山内閣(自社さ連立政権)
1994年(平成6年)6月30日~1995年(平成7年)8月8日
内閣総理大臣:村山富市(社会党)
運輸大臣:亀井静香(自民党)
【四月会】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E6%9C%88%E4%BC%9A

おおっ!

おおっ!
さすが、よく色々なニュースを、調べ尽くしている無名ですさん!

めちゃ宅間ニュースかぶせてきましたね(笑)

ギブアップですぅ。
失礼しましたぁ〜。

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無名さん
あなたは他のブログのHNありますか?
新聞読んで1番よかった記事を貼り付けて下さい

信心の厚薄。

信心は、組織戦いでは無い。と思います。

創◯学会公認のアイツが、
衆議院員宿舎で愛人を囲ってた!とか、

たくま マモルが法華講のヤツだとか、

大聖人様と、ご自分が、どうなの?

他人様の信心は、関係ないのよ。

師弟不二の事を
支部長に聴きたく成りました。

駄文連文マイど失礼しております。

Re: 信心の厚薄。

承認が遅くなりすみませんでした。

師弟不二の件、話が広がりそうですので新しい記事にてやり取りさせてもらえたら、と思います。

ですが3連休色々と忙しいので明けましたら記事にいたします。
よろしくお願いします。

一旦総括。あっ創価つ。(笑)

こんにちは。
とりあえず、三大秘法はまぁいいです。
天パさんのお題は僕も気になるとこです。

しかし、創価学会の三大秘法はいつの間にやら、ややこやしくなって、色んな条件が必要になったんですね。

博学な無名ですさんには、御本尊を書写した人によって、書写した人の命と感応するなんて始めて学びました。

書写した日顕上人猊下に感応したのが、宅間マモールと言うことで何をいわずもや。

すると、障害のある女性を施設で妊娠させた副圏長さん?は日寛上人に感応したのか
な?

愛人宿舎の議員さんも感応しちゃったんですかね。

僕の知り合いの学会員さんはネギ泥棒しちゃったんだけど感応したのかな?

なるほど!こりゃ歴代猊下様書写では、心許ない、感応するならこの方を置いて他にいませんね。

さぁ!今日のサビいっくよ〜♪

その方とは世界一の名誉称号をお持ちの
池田大作会長先生ですねー!

ソレはいいと思いますよ。マジで。
もう色んな条件をあーだこーだつけなくても、バッチリ一貫性が通ります。

池田大作先生の命と感応すれば、犯罪者はゼロになるはずですよね?
なんせ、世界平和の第一人者ですから。

イヤ〜今回は勉強になりました。

たいやきさん!正しい相藐だけでは、駄目ですよ。書写する人がやはり重要だそうです。なんせ、感応しちゃいますからね。

師弟不二について。

支部長いつもアザァース♪
お忙しいのは良く分かっておりますので、
お時間のある時に宜しくお願いします。

因みに、私の師匠は、、
御本尊様を認定できる
原◯会長センセ様でも、
池◯センセでもありません、、、。
創価組織の人柱としては、
残念な輩です。なんせ、
内部アンチなので。

大聖人様が私の師匠なんですが、、、。
まいど失礼します。

感応♪なるほど!

梵さんが言われる通り!
「池田大作先生の命と感応すれば、
犯罪者はゼロになるはずですよね?
なんせ、世界平和の第一人者ですから。」

私は、いつも思うんですょ。
学会は独自の御本尊様を保つ方が良いと。
相貌が正しいならば、本尊に成り得る。
ならば、
池田師匠が書写された御本尊様が
学会員には一番良い♪
師匠に感応出来るでは有りませんか?

先生と共に!学会と共に!
興奮の大道を?

、あ、いや、間違い。
創価公布の大道を♪

無名ですさんに質問があります。

 日顕書写本尊の私の愛着コメントから端を発したように感じていましたので、梵我一如さんとの対話を興味深く拝見しておりましたが、尻切れトンボのようなので、改めてお聞きします。

 まず本尊書写した方の人格が感応するという話ですが、何か文証や過去の指導にあるのでしょうか、、、?

 私は初めて聞いたことなので、一幹部の話が末端に拡散した創価よくアルアルの都市伝説の類の話かと思ったのですが如何でしょうか?(質問1)

 感応するとして、僧俗和合の時代からなのか、破門してからなのか、ある時期から同じ本尊に違いが生じるということなのでしょうか?(質問2)

 時期に違いがないとしたら、私を含め多くの会員が日顕書写の本尊で多くの功徳の体験の事実を、悪しき感応の影響で否定するようなことにならないのでしょうか?(質問3)

 ある特定の時期(破門したときとか)から同じ本尊に違いがあるとしたらしたでそれもまたオカルトチックな話のようで、信仰者の内面の姿勢より書写した人物に影響されることになり、己心の外に原因を求める外道の発想のように私は感じてしまうのですが如何でしょうか?(質問4)

 凶悪犯罪者の所持していた本尊の影響があったとの見解ですが、これを言い出したら創宗限らず延々と犯罪者の所属した宗派を攻撃しあう不毛の論争になってしまうのでは思っております。

 豊富な資料を提示する無名ですさんにはいつも感心しておりますが、犯罪者の所持していた本尊もしくは所属していた宗派によって、何か特別に宗門(日顕書写も含め)が飛びぬけて比率が多いというデータがあるのでしょうか?(質問5)

 会員同士の井戸端会議レベルでは盛り上がる話かもしれませんが、公に創価学会がそのように宗門に対して考えているということなのでしょうか?それとも無名ですさんの個人の感想として述べているのでしょうか?(質問6)

 以上が無名ですさんのコメントに疑問を抱いた点をまとめてみました。よろしくお願いします。

 またどんな立場にいる方なのか簡潔にお話しいただけると無名ですさんのイメージが湧いて親近感が生まれると思いますのでその当たりもご一考を、、、(笑い)

 本部職員の資料室にいる方なのかなあと勝手に妄想を膨らませておりますので、、、(笑い)

 

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